国際刑事裁判所(ICC)と日本 [はてな版]

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解説『誰にでもわかる98条協定問題』(2002.09.09)

 以下は、BIA(二国間免責協定)に関する公式FAQの全訳と時を同じくして98条協定について誰にでもわかりやすい解説を試みようと、2002年9月に私が作成してヤフー掲示板に掲載したものを再編集・修正してまとめたものです。

 

 米国が各国と二国間免責協定を結ぶために利用しているローマ規程の第98条とは、どのような規定なのでしょうか。そして、米国はこれをどのように利用しようとしているのでしょうか。さらにその主張の盲点とは?
 初めての試みとして、これをわかりやすい言葉で解説してみたいと思います。私みたいな異邦人がわかりやすく説明しようとすると、とてもつたない日本語になるかもしれませんが、よかったら感想・指摘などを遠慮なくください。キッズページ作成にあたっての参考とします。
 それでは、初の試み、題して『誰にでもわかる98条問題』のはじまりです(でもまだ子供にわかるようには書けないだろうな…)。

 

『誰にでもわかる98条協定問題』

 

(1)ICC規定第98条には何が規定されているのか?

ローマ規程の第98条は、既存の国際法に反する行為を禁じる規定です。
これらの違反行為は、大きく2つに分かれます。
  • 既存の条約で保証されている外交上の特権を侵害する行為
  • 事前承諾が必要であると規定する他の国際条約に違反する行為
 ICCは、犯罪者引渡しを求めるにあたって、その国家の主権を尊重するということが大前提にあります。その大前提の一つとして98条で挙げられているのが、すでに成立している国際条約などの既存の国際法国際法の源は国際条約や慣習法とされています)の尊重です。つまり、犯罪者の引渡しをICCが求めたとしても、その求めた先の国が引渡しを認めない国際条約などを結んでいた場合は、ICCは引渡しを強制できないということです。米国が利用しようとしているのは、まさにこの点なんです。

(2)そもそもローマ規程第98条とは?(簡易バージョン)

免責権の放棄と容疑者引渡しの承諾に関する協力
  1. 裁判所は、容疑者引渡しや協力の要請などを受ける国が免責権を放棄しない限り、その国が個人や所有領土の外交免除権を定める国際法に規定される義務に反する協力や引渡しを求めてはならない。
  2. 裁判所は、容疑者引渡しの要請を受けた国から事前の承諾が得られない限り、要請を受けた送致国の事前承諾が条件であると規定する他の国際条約の義務に反する容疑者の引渡しを求めてはならない。
条文全文(英日対称)はコチラ

(3)米国はこの98条をどう利用しようとしているのか?

 米国は、前述の98条(2)を「事前に承諾が得られない限りはすでに締結している条約が優先される」と解釈し、まずは免責協定を二国間条約(“国際”条約)として締結することで、ローマ規程より優先する国際法が存在するという既成事実を作ろうとしています。そして、その既成事実を元に、米兵士の引渡しを、二国間協定の締約国に拒否させるという寸法です。米国政府に言わせれば、これがまさに理に適った考え方なんでしょう。ローマ規程をなぞったように作られた対抗策だからです。しかし、世界の多くの法律家たちがこれに真っ向から反論しています。

(4)米国の主張の盲点とは?

 専門家に言わせると、米国の主張は穴だらけのようです。それは、これまで米国が締結してきたとされる「98条協定」の中身に問題があるからです。
 
×補完性の原則への配慮の欠如
 ローマ規程の第98条(2)では、ICCの基本原則、すなわち補完性の原則が前提となっています。つまり、犯罪人引渡しを要請された国に引渡しを行う意志がない場合は、その国の司法システムの中で犯罪者が裁かれなければならないということです。そうでなければ、ICCが管轄権を行使して、犯罪者の引渡しを求めることができる。これが補完性の原則です。つまり、ICCの引渡し要請を拒否する国には、既存の国際条約だけでなく、その犯罪人を自ら裁く意志と能力を示さなければならないということです。米国の「98条協定」には、この補完性の原則に対する配慮が欠けているのです。

 

×既存の国際条約に対する解釈の誤り
 また、「98条協定」は二国間で締結される新たな条約ですが、ローマ規程第98(2)では、新たな条約を“既存”と認める規定はありません。98条(2)はあくまで軍事地位協定(「SOFA」あるいは「SOMA」と呼ばれています)などの既存の協定に矛盾しないよう配慮されて作られたもので、新たな条約に対する矛盾は想定していないのです。したがって、米国が推進する新たな二国間協定による取決めは、既存の国際条約としては認められない=無効なのです。

 

×地位協定などの既存条約の解釈の誤り
 さらに、「98条協定」では米国民であればすべての人間が免責されるということになっていますが、従来の軍事地位協定では送致国と受入国の間で相互関係が成立していて、ある特定の職階の人間に対して免責が保証される規定になっています。たとえば、日米地位協定の場合は、“クーリエ”という職階(いわゆる“密使”)にある米軍兵士が日本国領土内で犯罪を犯した場合、日本政府は引渡しはおろか米国での訴追すら求めることができません。
 これが、ある特定の職階の人間に関する免責権を認める軍事地位協定というものなのです。このような特別な職階にある人間であれば、たしかに既存の国際条約に基づいてその人間の免責権は認められますが、米国の「98条協定」が定めるような通常の政府関係者や元政府関係者などその職階が特定できないような人物の場合は、従来の地位協定をもってしても免責権は得られないはずなのです。したがって、「98条協定」を結んだとしてもそのような職階が条約に定義されていない犯罪者についてはICCへの引渡しを拒否できる道理がないのです。

(5)米国と「98条協定」を締結する問題点は?

 専門家によれば、この二国間協定を結ぶ事によってその協定の締結国は少なくとも3つの国際法に違反することになります。それは、ローマ規程条約法に関するウィーン条約、そして国内の犯罪者引渡しに関する法律です。
 ローマ規程の場合は規程の締約国のみに該当しますが、締約国は規程に定める“協力と支援の義務”を怠ることになり、規程に違反することになります。また、条約法に関するウィーン条約はほとんどの国連加盟国が批准しているため国際法として成立しています。この条約では、批准した国際条約に定める義務を履行する妨げとなるような行為が禁じられています。すなわち、ICC規程第98条の規定に矛盾するような行為は、締約国の場合はこのウィーン条約にも違反する行為となるわけです。
 国内の犯罪者引渡しに関する法律については、これは二国間ではなく一国の方針として定められた法律を意味します。つまり、相手国がどの国であろうと国家主権を発動して国内法を優先させて国内法に准じた引渡し手続きをとるということです。

 

 通常、国際社会では国内法で国際関係上の取扱いが定義されている場合は、主権優先の原則により国際条約よりも国内法が優先されます。むろん、これはその国内法がこれまでに締結して国際条約と矛盾していないことが条件になります。なぜなら、国際条約を批准するにあたって必要な法改正を施すというのが各国の批准プロセスとしてコモンセンスとされているからです。したがって、すでに成立している国内法は、それに関連する国際条約がある場合はすでにそれに准じているということになります。
 ここに新たな二国間条約を締結するとなると、今度は国内法との矛盾という問題が浮上し、それは他国とのこれまでの合意の不履行または撤回ということにもなるわけです。つまり、重大な国際問題を新たに作り上げてしまう可能性があるということです。
 現在わかっているだけでも、米国と二国間協定を締結することにはこれだけの問題点があるのです。

(6)では、この「98条協定」の効力をなくすための妥協案は?

 これだけの問題点が指摘されていても、98条協定はあくまで二国間条約。すなわち、二国間の間でそれが正当であるという合意が為されていれば、他国はこれに干渉できないし、国際司法上の判断も、ICJ(国際司法裁判所)に両国のどちらかが提訴しない限り、第三国が提訴するこはできません。したがって、これだけの問題点があっても、締結されて発効すれば(署名後に相手国が議会承認を得て正式に批准した場合)、その効力はその二国間においては絶対のものとなるわけです。そこで、EU首脳は98条協定の弱体化を狙って妥協案を模索しています。
 
 日本でも報道されているなかでは、「米国が国外で逮捕された米国人を米国内で審理することを確約する」(ロイター)という解決策が提案されています。これは、先にも挙げたICCの補完性の原則を考えればごく当たり前のことなのですが、米国は未だ一度も各国との二国間協定でこれを確約していません。そしてそれを確約できない理由は明らかです。軍事裁判所を使った軍人に対する裁判ならともかく、政府関係者までをそのような軍事裁判で処理することができないからです。すなわち、米国には政府関係者を国内法において裁く意志がないということになり、ここで補完性の原則が適用されてICCに管轄権が戻るということになるのです。米国が恐れているのはまさにこの点なので、これまでに専門家が挙げてきた問題点をすべてクリアするような二国間協定を完成させなければ、現在の「98条協定」キャンペーンはICCが擁立する国際司法による支配に対する無駄な抵抗として終わるでしょう。
 
 個人的には、EUが提示しているのは単なる“妥協案”ではなく、映画『ゴッドファーザー』の有名な台詞曰く「断れない提案」だと思っています。それが、国際司法が本来持つべき力。すなわち、国際法治社会のありようというものだからです。

 

以上