以下は、ブログ周回をしていたときに見つけたある記事(TB先参照)に対する私のコメントに頂いた、サイトオーナーの問いかけをきっかけに、私個人が書き上げたレスなのですが、長大になってしまったためコメントとして返信できなかったので、こちらに転載することにいたしました。重ねて申し上げますが、以下は私の個人的な総括でありJNICCを代表するものでも、政府各省庁の公式見解を代弁するものでもありません。
Q: ただ、どうしてこれほど批准が遅れているのかという疑問は残ります。お暇な時にでも、ご教示いただければ幸甚です。
A: レスありがとうございます。批准が遅れた理由は、おそらく(当方でも完全には把握しておりません)複合的なもので、アメリカの意向もまったく関与していないわけではないと思われます。
ご存知かと思いますが、アメリカはICCの発足前の段階からICCへの反対を表明し、ICCに協力する国には経済支援を凍結するという、事実上の経済制裁を、途上国のみならずアメリカの同盟国に対しても辞さないという姿勢を、国策として法制化してきました。アメリカの同盟国である日本も、ICCと協力しない(米軍人、国民、政府関係者をICCに引き渡さない)ことを約束する免責協定締結の打診を受けました。日本はこれに対し、「締結もしていない条約に関する協定を結ぶ準備は無い」とつっぱねてきましたが、これは裏を返せば、「ICCに加入したら考慮する」と言っているも同然です。つまり、具体的に条約に加入しそうになった今だからこそ、日本は加入はしつつもアメリカとの免責協定を結ぶ可能性があるということです。
自民党内での勉強会を始めて当初のうちは、ICCの基礎から学び、ICCの機能、実効性と現状を何度かにわたって理解していくという段階を踏みました。この勉強会のレクチャーは常に、ICC推進派の外務省の国際法局と法務省の刑事局がタッグを組んで行ってきました。つまり、政府は国会議員を説得するのに必死だったということです。なかには、アメリカに気兼ねする議員もいたことでしょう。
国際条約の締結は、必ずしも政府主導で行われるわけではありません。政府は勉強会などを開いて条約の問題点や懸念事項を国会に報告し国会はこれを受けて、条約を批准するかどうか議決をとるわけです。日本の場合、国会法で国際条約締結のための権限は衆院にありますので、政府役人は衆院議員を中心にレクチャーを重ねてきました(当ブログでの第五回報告、第六回報告)。
一方、政府側はひとつの問題に直面していました。それは、トップダウンの指示が下っていなかったということです。つまり、首相官邸ひいては首相自らのゴーサインということです。外務省は、国連代表部や国際法局が中心となって、条約加入のためにICC条約(ローマ規程)の精査を行ってきました。しかし、トップからのゴーサインのないこの作業に割り当てられた人員は約1名で、とても短時間でこなせる内容でも量でもありませんでした。また、刑法改正を伴う国際条約ですから、法務省とのすり合わせが必要でしたが、これもトップからのゴーサインがない状態では円滑に進めることができません。このトップからの指示がない理由については、ご想像にお任せします。おそらく、貴方の考えは的を射ていると思います。
ローマ規程が採択されたのは1998年のことですが、署名期限は2000年末。条約が正式に発効したのは2002年。つい4年前のことでした。それまでに、拡大前のEU全加盟国やNATO加盟国を含めた66カ国が条約に加盟していました。これらの国の多くは発展途上国で、国内法があまり整備されていない状態で国際条約への加入が容易だったという側面もあります。一方、EUやNATOなど法体系が整っている国々では、日本とは異なり批准法(施行法)を整えてから加盟するという方法ではなく、まず批准し、それから関連法を整備するという方法をとったため、条約への加盟自体は、比較的容易に果たすことができました。しかし一方で、これらの原加盟国の中で、実際にICC条約の内容を完全に履行できる体制にまで法整備が整っている国はごくわずかというのが現状です。現行ではカナダやフランスが最も先行しています。
外務省(2001年度)によると、日本は国際条約に加盟するためには、国内の関連法を整備して行い、準備が整った段階で加盟することを方針にしているそうです。当時の時勢では2000年末までに軍事行動に対する罰則を設けるローマ規程に署名しなかった(できなかった)日本は、その頃から条約の精査をはじめ、関連法も順次整備していきました。その1つが、武力事態法の制定に伴うジュネーブ条約追加議定書への加入とそのための自衛隊法・刑法改正です。追加議定書には2004年に加入を果たし、自衛隊法・刑法の改正も最近になって達成することができました。つまり、ICC加入のための外堀が埋まってきたのです。これに、約4年かかったということです。
次は内堀で、これが政府・国会内でのコンセンサスの醸成で、そのために関係各省庁は積極的に勉強会や、一般公開の国際シンポジウム、パネル・ディスカッションなどを催して、政治家たちの意識向上に努めてきたわけです。その結実が、最近実現したICC議員連合の誕生であり、自公合同の勉強会ということになります。
このように、日本は様々な複合的かつ合理的な理由により、これまでICC条約に加盟できないでいました。しかし、外堀と内堀が埋まりつつある今、日本は条約加入に向けて邁進しているのが現状だということです。おわかりいただけましたでしょうか。
長文、失礼いたしました。
A: レスありがとうございます。批准が遅れた理由は、おそらく(当方でも完全には把握しておりません)複合的なもので、アメリカの意向もまったく関与していないわけではないと思われます。
ご存知かと思いますが、アメリカはICCの発足前の段階からICCへの反対を表明し、ICCに協力する国には経済支援を凍結するという、事実上の経済制裁を、途上国のみならずアメリカの同盟国に対しても辞さないという姿勢を、国策として法制化してきました。アメリカの同盟国である日本も、ICCと協力しない(米軍人、国民、政府関係者をICCに引き渡さない)ことを約束する免責協定締結の打診を受けました。日本はこれに対し、「締結もしていない条約に関する協定を結ぶ準備は無い」とつっぱねてきましたが、これは裏を返せば、「ICCに加入したら考慮する」と言っているも同然です。つまり、具体的に条約に加入しそうになった今だからこそ、日本は加入はしつつもアメリカとの免責協定を結ぶ可能性があるということです。
自民党内での勉強会を始めて当初のうちは、ICCの基礎から学び、ICCの機能、実効性と現状を何度かにわたって理解していくという段階を踏みました。この勉強会のレクチャーは常に、ICC推進派の外務省の国際法局と法務省の刑事局がタッグを組んで行ってきました。つまり、政府は国会議員を説得するのに必死だったということです。なかには、アメリカに気兼ねする議員もいたことでしょう。
国際条約の締結は、必ずしも政府主導で行われるわけではありません。政府は勉強会などを開いて条約の問題点や懸念事項を国会に報告し国会はこれを受けて、条約を批准するかどうか議決をとるわけです。日本の場合、国会法で国際条約締結のための権限は衆院にありますので、政府役人は衆院議員を中心にレクチャーを重ねてきました(当ブログでの第五回報告、第六回報告)。
一方、政府側はひとつの問題に直面していました。それは、トップダウンの指示が下っていなかったということです。つまり、首相官邸ひいては首相自らのゴーサインということです。外務省は、国連代表部や国際法局が中心となって、条約加入のためにICC条約(ローマ規程)の精査を行ってきました。しかし、トップからのゴーサインのないこの作業に割り当てられた人員は約1名で、とても短時間でこなせる内容でも量でもありませんでした。また、刑法改正を伴う国際条約ですから、法務省とのすり合わせが必要でしたが、これもトップからのゴーサインがない状態では円滑に進めることができません。このトップからの指示がない理由については、ご想像にお任せします。おそらく、貴方の考えは的を射ていると思います。
ローマ規程が採択されたのは1998年のことですが、署名期限は2000年末。条約が正式に発効したのは2002年。つい4年前のことでした。それまでに、拡大前のEU全加盟国やNATO加盟国を含めた66カ国が条約に加盟していました。これらの国の多くは発展途上国で、国内法があまり整備されていない状態で国際条約への加入が容易だったという側面もあります。一方、EUやNATOなど法体系が整っている国々では、日本とは異なり批准法(施行法)を整えてから加盟するという方法ではなく、まず批准し、それから関連法を整備するという方法をとったため、条約への加盟自体は、比較的容易に果たすことができました。しかし一方で、これらの原加盟国の中で、実際にICC条約の内容を完全に履行できる体制にまで法整備が整っている国はごくわずかというのが現状です。現行ではカナダやフランスが最も先行しています。
外務省(2001年度)によると、日本は国際条約に加盟するためには、国内の関連法を整備して行い、準備が整った段階で加盟することを方針にしているそうです。当時の時勢では2000年末までに軍事行動に対する罰則を設けるローマ規程に署名しなかった(できなかった)日本は、その頃から条約の精査をはじめ、関連法も順次整備していきました。その1つが、武力事態法の制定に伴うジュネーブ条約追加議定書への加入とそのための自衛隊法・刑法改正です。追加議定書には2004年に加入を果たし、自衛隊法・刑法の改正も最近になって達成することができました。つまり、ICC加入のための外堀が埋まってきたのです。これに、約4年かかったということです。
次は内堀で、これが政府・国会内でのコンセンサスの醸成で、そのために関係各省庁は積極的に勉強会や、一般公開の国際シンポジウム、パネル・ディスカッションなどを催して、政治家たちの意識向上に努めてきたわけです。その結実が、最近実現したICC議員連合の誕生であり、自公合同の勉強会ということになります。
このように、日本は様々な複合的かつ合理的な理由により、これまでICC条約に加盟できないでいました。しかし、外堀と内堀が埋まりつつある今、日本は条約加入に向けて邁進しているのが現状だということです。おわかりいただけましたでしょうか。
長文、失礼いたしました。