キューバのグアンタナモ米軍基地には、アフガニスタンやイラクでテロに関わったとされる容疑者たちが収監されています。このグアンタナモでの拘留者(※)たちは、各国の人権団体から人道的に扱われていないと非難されており、また拘留者が軍人か民間人であるかの明確な区別がないまま、適用される法律も軍法か刑法かが曖昧のままとされており、国際司法の世界では、米国が標榜する「テロとの戦い」における米国の不備の象徴として見られてきました。
※ 拘留者または不法戦闘員
そのような中で、今回のロイターの記事のように米軍当局者自らがその基地内での裁判制度を以下の発言のように非難するということは、これまで各国の人権団体が指摘してきた人権侵害の兆候を捉えた調査結果が決して事実からかけ離れたものではなかったことを示唆しているといえます。つまり、米国が「テロとの戦い」に適用している軍事裁判制度には国際司法上適性であると認められない不備があるということです。
「我々は、自ら選んだ弁護士を持ち、原告と対峙し、証拠を要求する正当な権利を有する公正な司法制度を、数百年かけて築いてきた国に住んでいる。(中略)グアンタナモ米軍基地での審問ではそういった理念が全く見当たらなかった」 イエメン人捕虜の弁護を担当し、公判前の審問に出席したトム・フリーナー陸軍少佐
さらにフリーナー少佐と同業のチャールズ・スウィフト海軍少佐は、「捕虜は既存の民法または軍法で裁かれるべき」だとし、ブッシュ大統領の大統領令によって復活した軍事裁判所制度は不当であるとして、連邦最高裁に提訴しています。
日本の自衛隊とは異なり、米国を含む軍隊保有国では、軍隊を縛る軍規とさらにその上位に位置する軍法によって軍の独立性が維持され、独自の司法体系が成立しています。米海軍の場合、その軍法に従って法的手続きを執行するのがJAG(Judge Advocate General:法務担当局)といわれる法務官たちです。今回グアンタナモに派遣されたフリーナー陸佐とスウィフト海佐は、それぞれの部隊のJAG将校であると思われます。その法務担当官らが、グアンタナモでの軍事裁判制度を適法でないと指摘するからには、それなりの根拠があると考えるのが妥当でしょう。
ブッシュ政権と、メキシコとの戦争以来100年以上に及ぶ封印を解かれて大統領令によって再開された軍事裁判所は「テロ容疑者の裁判を公正に行うためには既存の法律では対応できない」と主張しており、特別な裁判制度が必要との認識を示しているといいます。しかし、既存の法律がなぜ無効なのか、そしてテロ容疑者の法的位置づけはどうなるのか、国際人道上の定義はどうなるかなどの疑問に対する明確な解答は得られていません。
ブッシュ大統領は最新の声明として、グアンタナモ米軍基地は「米国民を守るために必要だ」との考えを示したそうですが、国民を守るという国家の義務を果たすために、各国との平和的共存を目指す国際社会の一員として何を為すべきなのか、そうした包括的なビジョンがその主張からは見えてきません。
ブッシュ政権と、メキシコとの戦争以来100年以上に及ぶ封印を解かれて大統領令によって再開された軍事裁判所は「テロ容疑者の裁判を公正に行うためには既存の法律では対応できない」と主張しており、特別な裁判制度が必要との認識を示しているといいます。しかし、既存の法律がなぜ無効なのか、そしてテロ容疑者の法的位置づけはどうなるのか、国際人道上の定義はどうなるかなどの疑問に対する明確な解答は得られていません。
ブッシュ大統領は最新の声明として、グアンタナモ米軍基地は「米国民を守るために必要だ」との考えを示したそうですが、国民を守るという国家の義務を果たすために、各国との平和的共存を目指す国際社会の一員として何を為すべきなのか、そうした包括的なビジョンがその主張からは見えてきません。
ますます相互依存性が高まる現代の国際社会において、国家が一国のみの利益を追求するために他国や国際的なコンセンサスを侵害することは、その国家にとっても国際的信用を落とし、国際社会の責任ある一員としての信頼を損ねる結果に終わってしまいます。また、これは一国のみの信頼の問題ではなく、国際社会における法治、すなわち国際法秩序がどのように守られ、維持されるかという観点からも、国際司法の発展を見据える上で、重大な契機となる事件となるのではないでしょうか。
国家が自国の義務だけを全うしていればよいという時代は、前世紀に終わりを告げています。国際社会の平和的発展と繁栄を目指すのならば、その構成員である国家は自国の義務と国際社会に対する責務とのバランスをとりながら共存していかなければなりません。国際司法の尊重は、国家主権の侵害ではなく、国際社会における共通のルールを受け容れ、実践するという責任ある行為であり、決してグローバリズムに傾倒した盲従行為ではないのです。
現在のブッシュ政権が「テロとの戦い」という国際的な大儀のもとで一国主義的なアプローチを改め、基本的人権の尊重という国際的なコンセンサスを受け容れる余裕があるのなら、その主張もより実効性を持つことでしょう。
国家が自国の義務だけを全うしていればよいという時代は、前世紀に終わりを告げています。国際社会の平和的発展と繁栄を目指すのならば、その構成員である国家は自国の義務と国際社会に対する責務とのバランスをとりながら共存していかなければなりません。国際司法の尊重は、国家主権の侵害ではなく、国際社会における共通のルールを受け容れ、実践するという責任ある行為であり、決してグローバリズムに傾倒した盲従行為ではないのです。
現在のブッシュ政権が「テロとの戦い」という国際的な大儀のもとで一国主義的なアプローチを改め、基本的人権の尊重という国際的なコンセンサスを受け容れる余裕があるのなら、その主張もより実効性を持つことでしょう。