国際刑事裁判所(ICC)と日本 [はてな版]

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【イラク】フセイン被告が米英首脳をICCに提訴か(2006.01.26)

 カイロ発共同通信によると、イラクで公判中のフセイン元大統領が米英両首脳を戦争犯罪の罪でICCに提訴する意向であるとのことです。

 旧米CPA(暫定統治局)の意向を強く受けて発足したイラクの特別戦犯法廷では、イラクの元フセイン大統領が80年代にクルド人に対して行なったとされる化学兵器使用の罪などの国際法違反を対象に公判が行われています。実際に化学兵器を使用したという被害報告や人権団体による指摘がなされ、その根拠が国際的にも広く認められている独裁者が、同様の大量破壊兵器を自国民に使用されたとして逆提訴するというのはなんとも滑稽な、国際司法を嘲笑うかのような行為です。まして、民意によって強く支持されているのならともかく、民意は混沌は望まないが、フセイン元大統領の復権を望んでいるわけでもないのです。そのような状態で、元独裁者が「戦争犯罪」や「人道に対する罪」で自国民に対する殺戮行為を行った米英両国に対して逆提訴を行うというのは、道理に叶っているとは言い難いでしょう。

 実はすでに、この類の提訴はイラク人被害者を弁護する国際弁護人の集団訴訟によってブレア英首相の戦争犯罪に対する告発案件がICCに付託されています。しかし、ICCは現在のところこのような案件を正当なものとして受理していません。それは、犯罪の要素が不確定で証拠が不十分であるからというのではなく、あくまでローマ規程に定める受理可能な案件としての条件を備えていないという判断からです。つまり、受理可能でない限りは捜査を開始することすらできないため、証拠不十分であるかどうかでさえ判断の対象になっていないというのが実情です。それはなぜか。

なぜ個人・集団による付託をICCは受理できないのか

 基本的にICCは国際条約なため、ICCに案件を付託できるのは個人や国際的な集団ではなく、国家や国際機関(正確には国連安全保障理事会ということになっています(コチラを参照)。すなわち、イラクが国家として提訴案件をICCに付託するのであれば、イラクはローマ規程の締約国として、ICCの管轄権をフルに受け容れるという条件のもとで、初めてICCの管轄権を他の加盟国(この場合はイギリスのみ)に対して行使することを要請できるのです。しかし現状のところ、イラクはローマ規程の締約国ではなく、②フセイン元大統領はイラクを代表する政府指導者ではありません。したがって、締約国でもなくまた政府を代表するものでもないいち個人による案件の付託は、受理されなくて当然なのです。

仮に、イラクがICCの管轄権を一時的に受け容れる場合は?

 この場合も、イラクが国家として管轄権の一時受け容れを承諾したとしても、政府の人間でもない元大統領のフセイン被告には、政府の意思を代表する権限がありません。したがって、仮にイラクが締約国であるか、ICCの管轄権一時受け入れを承諾したとしても、それがイラク国家によるアクションでない限り、ICCは締約国からの案件付託としてはそれを受理できないのです。また締約国でない場合は、第三国(他の締約国)かもしくは国連安保理による付託の場合でしか、ICCは案件を受理できません。つまり、イラクが国家としてICCへの提訴を他の締約国に委託するような場合のみ(もしくは他国が提訴することをイラクが了承する場合のみ)、締約国でないイラクは管轄権の一時的受け容れだけでなく、提訴も自ら間接的に行うことができるのです。
参考
 第13条 管轄権の行使
 第14条 締約国による状況の通知

 しかし現実問題として、他国が自ら、他の国の司法管轄権すなわち主権を無視してICCに間接提訴を行うのは、外交上の問題や国際良識を踏まえて、殆どありえないと考えられます。


 明らかな政治的意図を持っていると思われる告発を正当な訴えとして受理するほど、ICCは中途半端は司法機関ではありません。ICCにはローマ規程に定める遵守すべき手続きの規定があり、そうした国家主権の保護規定があるからこそ、その手続きに則って一時的とはいえ司法管轄権がICCに委譲されることを国家は認め、規程に批准するという行為に至っているのです。すなわちICCは国際的な神聖な誓約であり、これを逸脱して手続きを無視して案件を受理するということは、ICCの道義上も、機構上も不可能なのです。

三つの可能性:提訴の意図

 こうしたICCにまつわる事実をフセイン被告の国際弁護団が踏まえている上で提訴を行うなら、今回の提訴は①政治的パフォーマンス以外の何者でもないでしょう。もし、こうした事実を知らずしてICCに提訴を行おうと本気で考えているのならば、元米司法長官であり民衆戦犯法廷の創設者でもあるラムゼイ・クラーク氏を筆頭とするフセイン被告の国際弁護団は、厳しい言い方ですが②単に無知であるという結論になります。しかし、第三の可能性も考えられます。
 これがイラク国家の目を米英の戦争犯罪に具体的に向けさせるための③陽動作戦のようなものである場合、この提訴によってイラク国内でどのような動きが発生するかについては注視が必要かもしれません。いまのイラクに、民意の高まりを無視する政治力はありません。場合によっては、国内世論が喚起され、イラクがICCの管轄権を期限付きで受け容れる可能性があります。むしろそれこそが、一見無意味に思える今回の提訴の真の意図なのかもしれません。ただし、その場合は米国との間の二国間免責協定が結ばれるのが当然前提となるでしょう。
 米政府はイラク選挙が終了し憲法が成立した暁に、正式にイラクと外交関係を結び、その際にBIAはひとくくりの「外交関係樹立」のためのパッケージとして扱われるものと思われます。 (関連記事
 問題は英国で、ICCのどの加盟国も持つ期限付き免責権(国内法の整備のために与えられる7年間の訴追免除権─ココのQ13を参照)は、わずか3年後の2009年に失効します。それまでの間、英国はどうするのか。英国の政府方の国際法の権威は、米軍事裁判の有効性を否定したのだから、英国ではそれ以上に整備された軍事法廷制度があることを証明しなければなりません。これは見物です。(了)