国際刑事裁判所(ICC)と日本 [はてな版]

人間の安全保障の発展に貢献する日本と世界の道筋と行く末を見つめます。

国連:拷問禁止委員会での上田人権人道大使の発言の背景にある、日本の人権外交の実像(完全版)

国連の拷問禁止委員会の場で行われた人権人道大使の発言の背景に、日本政府の国際人権・人道課題に対する「基本姿勢」に問題があるということは、前回の記事で指摘した。しかし実はもっと掘り下げると、単なる「姿勢」ではなく「方針」の問題であることを、今回あらためてツイッター上でコメントし、これもまとめた。 以下は、そのまとめをブログ形式に改めて再編+追記したものである。(※転載歓迎)
日本の前時代的な人権外交を支える「人権人道大使」の実像

  • 「人権人道大使」に期待される役割
前のコラム(コメント1)について、ある方がこのように簡潔に要点をまとめて下さった。

上田人権人道大使の発言の背景の問題は3つある。
  1. 実態としての人権問題
  2. 人権外交についての姿勢の問題(上田大使の選任の背景も含めて)
  3. 上田大使の素養問題。
だが、上田大使の件には実はもう1つ、コラムでもブログでも詳しくまとめずに書いていた4つめの問題がある。この問題の一部に、ヒューマン・ライツ・ナウ事務局長の伊藤和子さんも話題となったブログで触れているが、それはそもそも「人権人道大使」という役職ができた背景にある。

「人権人道大使」という役職が第一次安倍内閣の時代に創設され、その初代大使が故・齋賀国際刑事裁判所判事であったことは前回も述べた通りだ。しかし創設された理由は、日本の人権外交を「推進」するためではなく、これを「擁護」するためだ。即ち、人権人道大使は人権人道スポークスマンなのだ。

「人権人道大使」の職務は、日本が人権上問題を指摘されている課題について、これを擁護し日本の人権外交の正当性を知らしめることにある。即ち上田大使は日本が議題となった国連の拷問禁止委員会において、日本政府の立場を擁護する任務を負っていた。

ここに日本の人権外交姿勢の最大の問題がある。

  • 世界が期待した日本の人権外交への目覚め
国連の条約機構としての専門委員会は、様々な課題についてその問題を討議する国連という多国間フォーラムにおける”小フォーラム”という位置づけにある。つまり、自国の政策の正当性を訴える場ではなく、「国際的な課題について意見交換を行い、対策を練るための場」なのである。これに参画している認識が日本側にはまるでないところが、世界はそうは見なかった。「日本がやっと人権問題に”集中的に”取り組む役職を作った。これで日本と人権に関する集中論議ができる」と、国際社会はその新しい役職が果たす役割に期待したのだ。 

日本政府の意識は国際社会の「常識的」な見方から全く乖離していたのである。

前回紹介した外務省資料を見てのとおり、日本は2005年頃から人権外交に力を入れ始め、2007年に初めて全権大使として人権と人道を併せて担当する現在の役職が作られた。当初の目的は、北朝鮮拉致問題への対応だった。拉致を強制失踪として国際社会に訴えるスポークスマンが必要だったのだ。この点について、前任者の故・斎賀氏は見事その役割を果たした。北朝鮮を強制失踪の罪で国際刑事裁判所に提訴することを真剣に検討していたのである。(参考まとめ

  • 「人権人道大使」の人権関連会議への出席は適材適所なのか
さて、国際社会からは、「人権人道大使」の役割は、「世界の人権潮流に歩調を合わせ、知見を共有し、世界の人権状況の改善に貢献することを担当する大使」であると見られていた。ところが、日本は自国の人権状況に関する擁護姿勢しか見せない。挙げ句には自国の正当性を喧伝する場に委員会を利用する始末である。これでは国際社会と協調していることにはならない。自国の利益のみを追求する一国主義的な外交姿勢である。

狭い意味での国益を重視する者からすれば慰安婦問題などで自国の正当性を主張する役職は必要であると単純に考え、「人権人道大使」が果たすスポークスマンとしての役割を支持するだろう。しかし、広い意味国際協調を通じて日本に対する信頼を高めるという国益に、この役職は合致するだろうか。

言い方を変えてみよう。「人権人道大使」が日本の人権状況を擁護するため”だけ”に創設された役職ならば、その大使が世界の問題を話し合い改善を検討する委員会に参加するのは、適切な人材配置なのだろうか。もっと言えば、日本にそのための人材は存在するのだろうか。

否、日本には真に国際社会における人権問題を担当する大使は存在しないのだ。

  • 日本は、前時代的(中世的)な人権外交を捨てるべき
言葉を選ばずにいえば、日本の人権外交そのものが「やっつけ」である。自国の人権状況を擁護することしかせず、人権擁護において問題のある国には平気で経済支援を行い、またその国を擁護する。似たような国が集まる「中世クラブ」の代表スポークスマンみたいなものと考えてよいのかもしれない。

そういう意味で、実は第一次安倍内閣による2008年の上田人権担当大使の任命は、皮肉にもまさに「適材適所」であるといえる。狭い国益を守るための「人権外交擁護」スポークスマンとしての役割を果たすのに、上田氏のような我の強い愛国心あふれる外交官まさに適任だったのだろう。

だが、今回の上田氏の失態は、その政府の思惑としては「適材適所」な人事の中でも最悪の人選ミスであることを示した。外交官としてのセンス、儀礼をわきまえた国際良識、致命的な語学力など、どれをとってもおよそ「スポークスマン」として役に立つ人材ではないことが明らかになった。

日本にはおよそ、自国の人権状況を擁護できる人材も、他国と協調して人権問題に取り組むことができる人材も存在しないのである。国際社会は日本の人権意識の向上に期待した。そして建設的に話し合うフォーラムの場を設けた。そのフォーラムの場で、我が国の代表は外交プロトコルを全て破った

アフリカ、モーリシャスの委員は、日本の刑事司法の現在について実に的確な指摘を行った。それに1つ、付け加えることがある。中世的(前時代的)なのは、刑事司法だけではない。日本外交そのものが前時代的なのであるこの時代錯誤の外交姿勢から脱しない限り、日本は国際社会の責任あるステイクホルダーとしてその地位を認められることはないだろう。我が国が、世界全体の安全保障という重責を担う国連安保理常任理事国入りはおろか、憲法前文にあるような”国際社会において名誉ある地位を占める”ことなど、夢のまた夢ということである。


国際刑事裁判所問題日本ネットワーク
事務局長 勝見貴弘

⇦BACK |HOME NEXT⇨