以下は、ダルフール情勢に関するトラックバック先の記事(7月15日付)について、国際刑事法の専門家であるJNICCのメンバーが事態の進展への期待の洞察とともに「なぜいま、このような形で」という疑問を率直に提起したものをまとめたものです。
公開するまでしばらく間が空いてしまい、その間に事態はだいぶ推移していますが、執筆者である 明治学院大学法科大学院の東澤靖教授(プロフィール)は国際刑事弁護士会の役員でもあり事態の問題点を詳細に把握しています。この率直な評価は公開に値すると考え、本人の許可を得て以下公開いたします。
1、逮捕状が発行された場合の法的効果
ご存じのようにスーダンは、ICC規程の締約国ではないが、管轄権行使の条件の一つである安全保障理事会の付託により、ICCはスーダンのダルフール地方の事態に対して、管轄権を持っている。バジル大統領に対して、ICCの予審裁判部から逮捕状が発行された場合には、(1)安保理決議がスーダン政府にICCへの協力を義務づけていることから同政府はバジル大統領に対する逮捕状執行に協力する義務を負い、(2)ICCの締約国106カ国(日本を含む)も逮捕状執行に協力する義務を負うことからバジル大統領がそれらの国に行けば執行される可能性が生じることになる。 しかし実際には、スーダン政府がそのような協力をするとは思えないし、(2)の締約国による協力は逆にバジル大統領が和平交渉のために国外に出ることを拒む口実となる危険性もある。 |
2、今回の逮捕状請求の国際法的な意義
今回の逮捕状請求は、現職の国家元首に対する国際裁判所の初めてのものである。旧ユーゴ法廷に訴追されたミロシェビッチやシエラレオネ特別法廷に訴追されたチャールズテイラーも国家元首ではあったが、逮捕時には国家元首の地位を失っていた。現職の国家元首に対する訴追が国際法上許されるかについては、2002年の国際司法裁判所(ICJ)が少なくとも他国の刑事裁判管轄権との関係では、国際法上免責特権が認められるべきだと判断している。しかし、ICC規程は、あえてそのような国内での地位に基づく免責特権を否定し、訴追を可能としている。そのことは、国家主権を盾に残虐行為の責任から逃れてきたものに対する不処罰の文化を断ち切るものだとして、評価されてきた。
以上の意味で、たとえ現職の国家元首であろうと、国際犯罪の責任からは逃れられないというICCの理念を現実のものとしたICC検察官の行動は、大きな意義を持っている。特に、安保理が断定することを躊躇したジェノサイド(集団殺害犯罪)をその訴因に含めたことの意義は大きい。 |
3、今回の逮捕状請求に対する評価
(1)現在までにダルフールで、検察官主張の戦争犯罪、人道に対する犯罪、集団殺害犯罪が行われてきたことは、今日では何人も否定しようのない事実である(安保理によって設けられた、ダルフールに関する国際調査委員会の国連事務総長に対する報告、2005年1月25日)。同報告も、政府高官を含む51名の者を責任を負うべきものとしてあげていた。そのような事態に対して、独立性を持って活動する権限と責任を持ったICC検察官が、訴追に必要な証拠を得た場合に逮捕状を請求すること自体には、法的な問題は存在しない。仮に逮捕状請求が、国際政治に影響を与えるとしても、ICC検察官は、そのような国際政治に左右されないことが求められているし、必要な国際安全保障への対応は、ICC規程が安保理決議によって捜査の延期(12ヶ月まで)を認めていることによって実現できることになっている。
しかし、ICC検察官がまったく国際政治を無視してこれまで活動してきたかというと、ダルフールの事態における逮捕状請求を2名にとどめてきたという事実を含め、必ずしもそうとはいえない。ICC検察官は、その捜査や訴追を効果的なものとする意図で、当然、国際政治を一定程度考慮した行動を取ってきた。その意味で、今回の逮捕状請求に対する批判に対し、「国際政治からの独立」のみを反論の根拠とすることは、表面的な建前という印象を免れない。 (2)他方で、今回の逮捕状請求については、当然、国連やAUが実施しようとしている和平交渉や平和維持部隊の増派に対して否定的な影響を及ぼすのではないかという正当な批判があり得る。特に、2007年4月27日に大臣と民兵リーダーに対して発布された逮捕状はまだ執行されておらず、執行の見通しも存在しない。そのような状況でのバジル大統領への逮捕状請求が、実際にどのような意味を持ちうるのかという疑問は当然湧いてくる。 よく考えれば、逆に、ICC検察官としては、元首に対する訴追姿勢を国際社会に明確に示すことが、停滞するダルフールでの事態の深刻さを国際社会に理解させ、より強い協力を求めるメッセージを示すことで国際社会に活を入れるという、意図があるのかも知れない。さらにうがった見方をすれば、上記の安保理による1年間の手続停止をめぐる駆け引きが、国際社会とスーダン政府の交渉の材料となる可能性も考えたのかも知れない。しかし、それはある意味で賭であり、逮捕状請求によってさらなる停滞が懸念される和平交渉や平和維持部隊の増派にとってどう影響するのかは、確たる見通しはない。マスコミに対するICC検察官のインタビューや記者発表では、そうした点は何ら語られていないが、どのような事件についていつ逮捕状を請求するかという広範な裁量権がICC検察官に与えられている以上、そのような疑問に対する何らかの回答をすべきではないかと思う。和平活動の中で、ICCによる捜査をどのように位置づけているかを考え、発言することは、それ自体は何ら「国際政治からの独立性」を損なうことにはならないはずだ。 (3)ICCにおいては、すでに2カ国(DRCとウガンダ)の事件について逮捕や訴追が実現しているが、もっとも進行しているDRCのルバンガ事件で、ICC検察局にとってはきわめて憂慮すべき事態が起こっている。2006年3月に逮捕されたルバンガ被告については、2年余を経過した現在でも公判が開始されていなかったが、今年の6月から7月にかけて、ICCの第1公判裁判部は、ルバンガ事件の手続を無期限に停止し、その結果としてルバンガ被告を釈放するとの決定を行った(検察側上訴中)。その理由とするところは、ICC検察局による証拠秘密合意規定の利用に不適切な点があり、現状では公正な裁判が実施できない以上、手続は停 止するしかない、というものであった。上訴が退けられれば、ICCでの初めての事件は裁判も開かれないままに被告人を釈放せざるを得ないという深刻な事態が予測されている。ダルフールに対するICCの取り組みを歓迎し、ひいてはそれによって国連安全保障理事会をはじめとする国際社会のより積極的な関与を期待しつつも、すでに始まった諸事件の捜査や訴追を具体的にどのように実現させるかという観点から、ICCは未だ多くの課題に直面していることを改めて指摘したい。 |