以下は、2年前の2006年11月4日、私JNICC勝見が法政大学国際法研究会の招きで実際に行った講演、『国際司法の発展におけるノンステート・アクターの役割』の講演原稿からの抜粋です。(写真は講演の模様)
ノンステート・アクターの影響力を示す最新の事例(A)
グアンタナモ基地問題
2001年の9 11テロの発生後、アメリカはテロの首謀者と見られるオサマ・ビンラディン氏の引渡しに応じない、当時のアフガニスタンのタリバン政権に対して、武力攻撃を行いました。このとき、国際社会は未曾有の大規模テロで甚大な被害を被ったアメリカの言い分を受け入れ、国連の安全保障理事会は事実上、攻撃を容認しました。また(NATO)北大西洋条約機構はアメリカへのテロ攻撃を同盟国への武力攻撃とみなし、大西洋憲章の第5条を発動して集団的自衛権の行使に踏み切りました。 2006年現在に至っても継続して行われているこの攻撃の過程で、米軍率いる多国籍軍に捕らえられた「戦争捕虜(POW)」の収容所として選ばれたのが、キューバにあるグアンタナモ空軍基地でした。現在は、イラクで捕らえられた捕虜もこの収容所に拘留されています。 戦時に拘束されたPOWは、当然、戦時国際法であるジュネーブ諸条約の庇護下にあります。これら一連の条約に加盟する戦争当事国は、条約の規定に則り、POWの扱いに一定の人道的配慮を保証しなければいけません。ところがアメリカは、アフガニスタンやイラクで捕らえられたPOWについては、ジュネーブ条約の定めるところの「戦争捕虜」ではなく「不法戦闘員」だとして、独自の定義を持ち出し、ジュネーブ条約に違反していないと主張したのです。 最初にこの問題を提起したのは、ジュネーブ条約によって国際人道法の履行状況を確認する権限を与えられた唯一の公式団体である、国際赤十字というノンステート・アクターでした。アメリカは国家主権を縦に、 「国内の司法上の解釈として、国家ではない非対称的な 武装集団に属す敵性の戦闘員は、『不法戦闘員』である」 として譲らず、ジュネーブ条約には違反していないという主張を繰り返しました。 国際赤十字は自由な訪問と拘留者との面会を求めましたが、アメリカ側はこれを受け入れず、指定した日にしか訪問や面会を認めませんでした。数少ない実現した面会の中から、国際赤十字は1冊の報告書をまとめあげました。 報告書は、アメリカが「不法戦闘員」とする拘留者の扱いについて、国際的な基準に照らしても、人道的配慮が十分になされていないと結論付けました。またアメリカの国内法では認められているhabeas corpus(人身保護請求権)についても、これらの拘留者には十分に保証されていなかったとしました。この報告を受けて、アメリカ国内でヒューライツやアムネスティなどの人権団体が動き出し、その働きかけにより遂に、連邦最高裁が介入する事態となりました。 2006年6月に行われたいわゆるラマダン裁判では、 「グアンタナモやその他収容所における形ばかりの軍事裁判所の設置 (および収容所での不法な尋問)は、国内法である戦争犯罪法と ジュネーブ諸条約の両方に違反している」 という判決が下され、ブッシュ政権の主張は完全に否定された形となりました。ブッシュ政権は以降、「ジュネーブ条約に違反していない」と公に主張することができなくなり、逆に 「ジュネーブ条約の規定を適切に適用している」 という発言が、ラムズフェルド国防長官をはじめとする、政府高官の口から発せられるようなりました。つまり、ブッシュ政権は最高裁の違法判決を受けて、実質的に方針の転換を図ることになったのです。 この出来事は、国際司法コミュニティにおいて 「国際法治による正義の勝利」 として記憶されるようになりました。なぜなら、アメリカの司法を動かしたのは、国際法治を重んじ、推進するノンステート・アクターたちであり、その司法の判断により、ブッシュ政権に「例外なきジュネーブ諸条約の遵守」という方針転換を余儀なくさせたからです。 この問題が、イラクやアフガンなど、アメリカの直接的影響下にある地域での方針転換に繋がったのであれば、これはブッシュ政権の中東政策にのみ影響する問題と考えることができます。しかし、最高裁に違法判断をされては、イラクやアフガンのみならず、EUによって世界各国に点在することが確認された、いわゆる「極秘収容所」の運営、すなわち「テロとの戦い」に関わる政策についても、根本的な方針転換を余儀なくされます。 ノンステート・アクターたちは、アメリカの世界戦略そのものに多大な影響を及ぼすアクションを起こしたのであり、これこそが、彼らが国際司法の発展の「立役者」と言われる所以なのです。 |