VI.日本が実施する具体策:和平推進と治安回復
過去の貢献内容の総括《6. 再評価》
アフガニスタンの国情にまったく影響しない給油活動については、いまさら総括をするまでもありませんが、これまで日本は、アフガンの平和構築について、その限られた人的・物的リソースを持って部分的にのみ貢献してきました。2002年、日本はG8の一員としてサミットの枠組みのなかで独自の貢献策を模索しました。そのときの協議の結果、日本は外れクジを引いてどこの国もやりたがらなかったDDRという難関を担当することになりました。ところが、大方の予想に反して、これが大成功してしまいました。当初、4万人できれば御の字と考えられていた武装解除を、予想を大幅に上回る6万強の規模で完遂したのです。このSSR構想は、DDRが完了した後に続くその他のプロセスが順調に推移してこそ有効なものでした。しかし実際は、アフガン政府内部の深刻な腐敗と、それに伴う警察・司法の腐敗により、DDRで武装解除し社会復帰させた人間の行き場が失われ、結果的には日本だけが突出して、後のプロセスが対応しれきない実績を残したため、総崩れとなってしまったのです。かろうじて実現したのは、国軍の創設(現在7万強)ですが、これも寄せ集めのろくに訓練の行き届いていない、順法精神のかけらもない人間で固められています。その背景には、米国の一国主義的な政策があります。2001年の、戦闘終結後早々と選挙を実施してアフガン本土の安定をアピールするために、その場しのぎの国軍・警察を作り上げられてしまったからです。
結果、急ごしらえの軍も警察も腐敗にまみれ、新たに与えられた特権を悪用して犯罪を率先して行うような集団になってしまいました。当然、その集団を統括する国防省や内務省、そして司法省までも、腐敗と汚職の巣窟になっています。そしてこの腐敗の最大の要因が、麻薬経済にあるのです。
このような問題の中で、タリバンによる政府軍・警察に対する攻撃が激化したら、どうなるでしょうか。国家の治安など、保たれるわけもありません。かといって、OEFやISAFでタリバンの掃討に当たっているだけでは、片方の問題しか解決しないのです。しかも、実際は片方の問題すら解決していない。なぜなら、腐敗した警察や軍の中に、タリバンへの恐れからタリバンに同調してしまう勢力が現れ、それが根こそぎ国軍と警察を弱体化するとともに、タリバンを強化し続けるからです。この「双子のジレンマ」ともいうべき欠点を抱えたままでは、戦闘行動を激化しようと民生支援を推進しようと、SSRを進めようと、アフガンの復興も、開発も、安定も、平和もありません。
では必要なのは何か、ISAFの広告塔であるスポークスマンが述べています。
Political settlement(政治的解決)です。
これは何も、ISAFのみの主張ではありません。アフガニスタンの全国連の活動を統括するUNAMAは当初、和解推進をそのマンデートとして持っていました。しかし、それを長年実践できないできた。それは、「双子のジレンマ」が存在するからです。そのような中で、UNAMAのトップである国連事務総長特別代表が辞意を表明してしまうのですから、高齢とはいえ彼がどれほどの苦境に立たされているかが容易に想像できるでしょう。ISAFやUNAMAを国際社会の一端とすれば、もう一端はアフガニスタンそのものです。そして、その背後にいる米国の意向。これは無視できません。
実は米国は、2006年の9月にパキスタンのムシャラフ大統領とアフガンのカルザイ大統領を招き、和解を持ちかけました。なぜ、テロとの戦いの最大の協力国であるパキスタンに和解を持ちかけるのか、それはタリバンの背後にパキスタンのやむにやまれない事情による支援があることを米国が判っているからです。つまり両国間で政治的和解と、それに伴うパキスタンのタリバン勢力との決別が実現しない限り、タリバンの弱体化は不可能だと米国は考えたのです。このホワイトハウス仲介の合同会談により、今年8月中旬に実現したのが、パキスタンとアフガニスタンの両部族が参加する部族長会議、合同ジルガです。このジルガが実現したこと自体が、米国が暗に和解を求め、アフガニスタンやパキスタンもそのなんらかの政治的解決策を模索していることの証です。
しかし残念ながら、この史上初の合同ジルガは失敗に終わりました。ムシャラフ大統領が、会議終了の直前まで会場に現れなかったのです。和解を拒むタリバンの過激派勢力に配慮してのことでした。結局、ライス米国務長官の「お叱り」の電話を受けて、ムシャラフは重い腰をあげたのですが、時すでに遅しでした。その結果として、合同ジルガは予想されたような結果を残すことなく、不発に終わりました。むしろ、両部族間の不信感を募らせる結果に終わってしまったかもしれません。すべて、イスラム過激派勢力に対して強硬路線をとれないムシャラフ大統領の指導力のなさに起因しています。しかしこれは、自ら軍部出身のムシャラフにしてみれば無理もないことなのです。
そのような状況の中、かつて圧倒的な人気を誇ったが強権政治のため政権を負われたブットー元首相が再び祖国パキスタンに迎えられました。ムシャラフ大統領の弱腰に嫌気が差しているパキスタン国民にとって、ブットー元首相の強健は救世主のように写っています。つまり、ムシャラフ政権は風前の灯にあります。これが、アフガン問題の最大のステークホルダーであるパキスタンの実情です。では、この状況を打開する策を日本は打ち出せるのか。その能力はあるのか。
(つづく)