国際刑事裁判所(ICC)と日本 [はてな版]

人間の安全保障の発展に貢献する日本と世界の道筋と行く末を見つめます。

公開資料:民主党アフガン対策案概略II(導入)

遅すぎた付け焼刃の支援強化を表明する日本政府


日本の貢献は「和解と治安回復」にあり(導入)


はじめに
概略編Iで示したとおり、日本も含めた国際社会はこれまで様々な仕組みで、多くの異なる分野に一丸となって取り組んできました。トラックバック先にもあるとおり、日本はこれまで、テロ特措法に基づき多くの民生支援を行ってきました。上記の記事のとおり、先頃政府は、その支援額の増額を発表しましたが、金額を増やせばいいというわけではありません。アフガニスタン政府が抱える問題は腐敗です。しかも、司法・警察に係る政府省庁が腐敗にまみれている。ということは、予算として政府に増額された支援金が回っても、このお金が正しく使われる保証はありません。むしろ、彼らの悪事に流用されるのがオチと考えたほうが妥当でしょう。

過去5年間も、日本政府はお金だけは、米国に次いで一番多く出してきました。それによりウズベキスタンとの国境に橋が作られ、幹線道路が開通しました。DDRにより動員解除された人の社会復帰を保証したり、選挙監視、被災民の救援などが行われました。これらは総て、旧テロ特措法を根拠とした活動として行われてきました。しかしそれも、2004年までの話です。DDRは2005年に完了しましたが、その他の活動はすべて2003年までに終了し、類似の支援はもう行われていません。現在、アフガンには50人程度の常駐スタッフがいるだけで、2003年までに行ってきた活動を継続・更新できるだけの余力がありません。2004年以降、今年11月まで継続して行われてきた活動は何かといえば、経済支援と給油活動です。人的支援はほとんど行う力がなく、ただ金を国連に届けて国連に仕事をさせているだけです。

つまり少なくとも3年間は、日本は形のある民生支援をほとんど行わずにただ給油に勤しんできたことになります。この給油は海上阻止行動について役立っているだけで、アフガンに対する直接の支援とは程遠いものです。「テロとの戦い」=アフガン支援であるという図式が、そもそも間違っているのです。テロとの戦いは、テロとの戦いに過ぎません。戦う方法は様々ですが、ただ単に現地の支援スタッフに「実弾」を届けることが「戦い」なのでしょうか。貧困を撲滅、医療衛生環境の改善、教育の実践、どれも重要です。しかし、これらはすべて、安心して生活を営むことができる「人道的空間」があって初めて成立するのではないしょうか。テロが蔓延し、信用できる司法・警察機構を持たない政府に資金を湯水のように注ぎ込んだとして、それが何の解決に繋がるのでしょうか。

問題の根本は、ボン合意「不完全な和解」とそれに伴った「政府の腐敗」からくる「治安構造の歪み」にあります。この3つの問題が解決しない限り、いくら経済支援を使ってもそれは有効利用されません。そのための土台がないからです。かといって、給油活動を続けてもそれはインド洋の治安維持に貢献するだけです。日本を除く国際社会は、この3つの歪みに対し、過去5年間に渡り真摯に取組んできました。ISAFに部隊を出している各国は、PRTを通じて国軍・警察・司法改革にも取組んでおり、その影響を肌で感じる距離で活動を続けています。日本はこの活動のどれにも人を送っておらず、安全圏から「油を補給する」だけのことをしています。では、5年間に渡り難解な問題に取組んでいる国際社会にとって日本ができる真に国際貢献といえることは一体何なのでしょうか。次の概念図で、その方法論を図示します。