国際刑事裁判所(ICC)と日本 [はてな版]

人間の安全保障の発展に貢献する日本と世界の道筋と行く末を見つめます。

【日報】(中)世界連邦運動の世界大会出席報告

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2日目午後のシンポジウム会場となったパレ・デ・ナシオン(元国際連盟跡)


2日目の午後は、60周年記念ならではの記念行事が待っていました。ジュネーヴといえば、欧州の国連本部がある街でもあります。せっかくジュネーヴで大会を開くのですから、ぜひ欧州国連本部を使いたい─ということで実現したのが、国連の敷地内で行われた公開シンポジウムでした。Palais des Nations(パレ・デ・ナシオン)と呼ばれる、旧国際連盟跡地にある欧州国連本部で行われたこのシンポジウムのパネルを務めた面子はそうそうたるものでした。欧州本部のSergei Orzhonnikidze事務局長を筆頭に、メキシコ国連大使であり国連の人権理事会(HRC)の議長を務められたLuis Alfonso de ALba大使、同じくスロベニア全権大使であるEva Tomic大使、World Council of Churches(世界教会協議会)のSamuel Kobia博士など、要職を務める方ばかりで高度な議論が行われました。3時間という時間もあっという間に費やされ、おかげでまったく構内を見て回る余裕が持てませんでした。しかしこのシンポジウムで得られた新しい人脈は確実にUNEPSを推進する上で今後役に立つだろうことを確信しました。

規約の修正に積極的に協力

3日目から、いよいよ規約修正の議論に入りはじめました。午前中の3時間の間に、事前にMO(会員団体)およびAO(支援団体)から集めた修正提案をもとに、改正の規約が検討されました。このとき私は、代議員としての権限をフルに活かして発言を行い、最終的には新条文の起草を提案しました。後に私を理事に推してくれたWFM南アジア代表のインド人理事と、UEF(欧州主義者連合)代表のイタリア人執行理事の支持を得て、最終的に新条文を分割して既存の規約に組み入れることに成功しました。そのほかにも細かな修正を提案し、これを大会の総意として決議することにも成功しました。中でも最大の目玉は、WFM至上初めてInternational Member Organization(国際団体会員)という、新たな会員の概念が導入されたことでした。これは、各個人が、それぞれの所属するMO(会員団体)に属しながらも二重に所属できるWFMではまったく新しい形の会員団体で、一人一人の世界市民によって構成される国際団体です。つまり、人々の集まりによる組織が加盟して成り立つ集合組織ではなく、人々の集まりのみによって成り立つ個人組織なのです。この歴史的な規約の修正についても、積極的に発言し、文言がなるべく世界連邦の精神を反映するよう努めました。

このときから、インド人執行理事のJames Arputharajとは気が合うようになり、後に私を理事に推してくれる運びになったのでした。その決定的なきっかけとなったのが、大会の合間に開かれたCommission(分科会)でした。この分科会の間に、日本勢は全部で3件の決議を提出し、会の承認を得ることに成功します。

分科会で3件の決議を成立、平和省やATT決議も支援

執行理事長が議長を務める分科会では、平和、人間の安全保障と紛争予防の三つがテーマとなっており、この3つのテーマに沿って全部で8つの決議が起草されました。分科会の役割は、会期中の次の大会までに、テーマ別に決議を起草してこれを採択のために大会に提出することでした。扱われたテーマは次のとおり(順不同):
(1)対話、連帯と理解を深める方法を模索する決議【WFMJ起草の文言を挿入】
(2)核を国際刑事裁判所ローマ規程の使用禁止兵器一覧に追加する決議【WFMJ提出】
(3)核拡散防止条約(NPT)の第6条履行推進を強化する決議
(4)宇宙空間の軍事利用を防止する決議
(5)小型武器に関する規制強化を促進する決議【ATT
(6)日本の国会世界連邦決議採択の踏襲を求める決議【WFMJ提出】
(7)人道的危機に際した国連の迅速な行動を促進する決議【UNEPS
(8)平和省創設の促進を要請する決議【平和省
このうち、WFMJ提出の決議以外の起草もアシストすることで、カナダ、オランダ、インド、イギリスの代議員らと信頼関係を醸成し、後の理事会での追加指名を支持してもらうきっかけができたようです。実際、理事会への推薦を言い出してくれたのは、ATT(Arms Trade Treaty:武器貿易条約構想に関して意気投合したインドの執行理事(前出のJames)でした。彼が私を理事会に正式に推薦してくれたことで、理事会での投票候補に私の名前が加えられることになったのです。

理事会は大会ごとに設置されるので、今大会が始まった27日は前任執行理事会や理事会の最終会合の日で、29日以降は新任の理事会によって大会が運営される運びとなっていました。分科会の後で新任理事を選出する投票が行われ、ここで最高15人まで理事が選出されます。私も代議員権限で投票しました。このときは、私も単なる代議員としての責務を果たしているだけでした。しかし翌日30日の第二分科会(1日目の協議内容を決議に反映した内容を検討し承認の可否を決める)で、前述の3件(日本勢)+2件の決議の採択を支援したことで、さらに前任理事らの支持を得て、ついに推薦用紙が事務局に届けられます。もうこの時点で、自分のWFMに対するかかわり方はまったく変わっていました。ただの会議参加者から、代議員となり、そして理事のような責務に対する自覚を持つに至り、最終日を迎えることになります。

しかしその前に、30日の午後に行われた60周年記念式典の話をしなくてはならないでしょう。

(つづく)