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【日報】(下)世界連邦運動の世界大会出席報告

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式典の会場、モントルーのスイス・マジェスティックにて集合写真(全員ではありません)


30日の午後、ジュネーヴから3時間の道をツアーバスに揺られながら古都モントルーへと向かいました。モントルーはWFM所縁の土地で、60年前のちょうど同じ月に、WFM初の世界に向けた世界連邦の実現を目指すという明確な意思表明Montreux Declaration『モントルー宣言』が発せられた地です。その宣言が実際に書かれたという「グランドホテル・スイス・マジェスティック」という伝統のあるホテルで、60周年式典が開かれるというのですから、いやがおうにも気持ちが昂ぶります。

ホテルへ着いてからは、一堂興奮の極みで、レ・マン湖に面したホテルのテラスから記念撮影をしまくっていました。その結果とられたのが、上の集合写真です(実際はこの後にもっと本格的な─自分も含めた─大集合写真が撮られましたが、それがいつ手元に届くかは神のみぞ知る状態です)。

60周年を祝うに相応しい功績:「国際個人会員制」の成立

式典は厳かに行われ、会長代行や執行理事長、WFMスイスの会長、モントルー市長などにより祝辞が述べられ、その後にまさに歴史的瞬間がやってまいりました。『中』で述べたIMO(国際会員団体)への、個人加盟者の署名式が行われたのです。その場で、45名の署名が集まり、当然私や、WFMJの方がも全員署名しました。これにより、2007年8月31日に、45名の原加盟者からなる国際会員団体が成立したのです。WFMでは「会員」の種類は何通りかあるのですが、その中に国際的な団体というものは含まれずまたInternational Individual Person(国際的な個人=世界市民のみからなる新規の国際団体の定義というものはこれまで存在しませんでした。この新しい概念の導入を共同提案したのが、フィンランドWFMの代表とオランダWFMの代表でした。彼らの熱い熱意が、ややもすると保守的になりがちだった大会の代議員らの目を見開かせ、この画期的な国際個人組織の誕生へと繋がったのです。まさにこれこそが、WFMのパワーの源なのかもしれません。

国際理事選出への道のり

最終日の31日午前、新任の理事会の理事が推薦する理事7人の推薦書が事務局に届けられ、最後の大会が開かれました。ここで、5つの分科会に分かれて採用した決議案が、初めて大会で公開され、審議されます。私の所属する分科会2は8件の決議を提示し、すべてが全会一致で採択されました。5つの分科会の決議を審議するには、昼までに時間が足らず、大幅に延長して昼過ぎまで審議が続き、それでも終わらないので戻ってから即再開するということになりました。

どうにかすべての決議(全部で20くらいあったと思います)の審議を終え、これらを承認した後、新任の理事会による第一回会合が開かれました。さて、いよいよ新任理事会による追加選出理事の指名です。投票を行う前に、理事候補者はそれぞれ3分間のスピーチを許されます。これがダメ押しになるか、それとも落選の決定打となるかは候補者次第です。自分の並んで選出される候補者の中に、分科会で仲良くなったオランダWFMの関係者もいました。できれば、一緒に当選(うか)りたいものですが、こればかりは理事らの信任を得られるかどうかにかかっています。

短くスピーチを終え、他の候補者のスピーチもすべて終わり、いよいよ投票となりました。日本勢はすべて7人いる候補者のうち必ず私にも入れてくれることになっていましたが、問題は残りの人たちです。内輪だけ固めれば勝てるのなら選挙はなんてラクでしょう。規則で、投票の結果が過半数を超えなければ、落選とみなされます、そして結果は・・・・。

『TAKAHIRO KATSUMI』


名前が呼ばれました。初の世界大会、初の参加、1週間弱の参加で、初当選です。こんな風に選ばれてしまっていいのだろうか。そんな考えが頭をよぎります。しかし、すぐに頭を現実に戻しました。これから、やらなければならないことが山積しているのです。まず国際理事となったからには、年1回は会合に参加しなければなりません。その場所がニューヨークになるか、ハーグになるかはわかりません。また理事会の責務の一つは執行理事会が執行するWFMの活動プログラムなどを策定し、それを大会の意思に委ねることにあります。自分の強みは、UNEPS、ATT、R2Pなどのプログラムテーマとなることについて、ある程度先行して研究していたことにあります。しかしそんなもの、WFMが本気を出せばすぐに追いつかれてしまいます。そんな、競争相手だったWFMの中に、今度は自分がいるですからこれは生半可なことであはりません。

しかし折角、多くの人の支援と賛助を得て、与えられた新しい責務です。「身の引きしまる思いです」などという月並みな表現はしませんが、持てるものすべてで問題に取組んでいく覚悟は必要だと感じました。そしてその旨、選出してくれた新任理事と前任理事の両方に伝え、堅い握手をして会場を後にしました。

こうして、私の初の世界大会は激動のまま幕を閉じたのです。

(「外」につづく─時間があるときに、仲間内で行った「さよなら~また会う日まで」ディナーについて書きます)