国際刑事裁判所(ICC)と日本 [はてな版]

人間の安全保障の発展に貢献する日本と世界の道筋と行く末を見つめます。

【日報】(上)世界連邦運動の世界大会出席報告

イメージ 1

大会初日、代議員として初めて参加した本会議にて(後ろの外国人はビルではありません)


2007年8月26日~31日まで、ジュネーヴで開かれた世界連邦運動(WFM)世界大会(World Congress)に参加してきました。前回開かれたのは5年前の4月で、思えばそのときに丁度、国際刑事裁判所ICC)の10カ国同時批准式典のために私も会場のニューヨークにいました。JNICCに参加して初めてICC準備会合(Preparatory Commission:ローマ規程が発効したのは2002年7月なのでそれ以前は準備会合が行われていました)で、WFMの執行理事会が丁度召集されており、私はそこで後にWFMの機関紙でもあるFederalist Debateに掲載された日本の憲法九条問題に関するレポートを執行理事らの前でプレゼンさせられたものでした。その5年後の今年8月、5年ぶりに世界大会が開かれたのです。しかも、今回の大会はWFM創立60周年を祝う大々的なものでした。

私は、(1)WFM本体およびWFMJ(日本の世界連邦運動協会)の実態を見極め、(2)WFMが推進するUNEPSの“いま”を知ることを目的に、今回この大会に出席した・・はずでした。しかし、事態は自分の想像すらしなかった方向へと向かいました。

段々と変化する自分の役割

初日の27日は前任執行理事会と前任理事会のみで、いちオブザーバーとして参加していたのですが、28日から立場が変わりました。WFMの世界大会では、Delegate(代議員)という大会(Congress)や理事会(Council)での発言・投票権を持つMO(Member Organization:会員団体)の代表と、その代表の集まりである大会が選出するCouncillor(理事)がいます。世界連邦を目指す世界連邦運動(以下、WFM)の最高意思決定機関は、もちろんCongressです。このCongressに参加するには、会員団体すなわちこの場合は世界連邦運動協会(以下、WFMJ)に任命されなければなりません。ところが、今回は私は初めての参加ですから、オブザーバーとして特別に日本代表団の一員として参加を許されたのです。

ところが2日目、International Secretariat(国際事務局)の事務局長でありExecutive Director(専務理事)でもあるWilliam Pace氏(5年来の付き合いなので“ビル”と呼んでいます)から、参加予定だったCDIL(Center for Development of International Law)という団体のProxy(代行者)をお願いされ、Delegate権限を付与されたのです。勿論、正規の手続きに則った正式な任命でした。こうして2日目から私は、ただのオブザーバーから代議員へと立場が昇格し、大会での発言と投票を許されるようになりました。つまり、28日の大会初日から代議員として参加することになったのです。

28日は、WFMJが今大会最大の焦点としているWFMのPresident(会長)の選出が行われる予定でした。WFMでは、2004年3月に死去した前会長のPeter Ustinov卿の後継者を、過去3年間に渡り見出すことができないでいました。アガサ・クリスティ・シリーズで名探偵エルキュール・ポアロ役を演じたことで有名な英国でサーの称号を持つ貴族俳優といえば、誰だかお分かりになるでしょう。あまりに偉大な指導者だったため、WFMは3年にわたりActing President(会長代行)を立てていました。会長代行にはカナダの現職上院議員であるLois Wilson女史が就いていました。しかしそのWilson会長代行も80才を越える高齢です(カナダ議会では上院は政府により任命され、終身制なんだそうです)。そろそろ交代を考える必要がありますし、世代交代を実行する時期でした。しかし、3年が過ぎた後でも、WFMはWilson会長代行の後任を決められずにいたのです。

そこで、WFMJは大会の前に日本から候補を出していました。当然、今大会では他の候補者ととともに選考の対象となると思っていたのです。しかし、今回の大会では、WFM本体の焦点となっている重要事項が1つありました。Statute(規約)の改正です。

運動の創立から60周年、そして前の世界大会から5年目となる今年、WFMでは規約の改正を一大事業と考え、準備を進めてきていました。その目玉となるのが、single presidency(単独代表制)からco-presidency(共同代表制)への移行だったのです。当然、共同代表の選出は、共同代表制への移行が大会において承認され、必要な手続き規定が定まって初めて実践できるようになります。したがって、仮に日程に「WFM会長の選出」とあったとしても、大会初日にある限りは実質、これは無理だということがわかっていました。ところがWFMJ側はこれに最大の力点を置いているわけですし事情もありますから、なるべく今大会中に会長の選考に日本の候補者を指名したかったんですね。しかし、これがそう思惑どおりに運ばなかったのです。

前出のビルはWFM事務局側の事情を説明しようと、27日の理事会会合で私を会場の外に連れ出しました。彼は細心の注意を払い、私に事情を説明してくれました。それは、上述したような理由によるものでした。つまり、承認・規定の設定・移行という手順の問題です。このときから、オブーザーバーとしての私の立場が変わり始め、ビルは代行者権限を私に与えることを決めたようです。

このように、大会を通じて私の役割を次々と変わってゆきました。
そして最後には、本当に思いがけない顛末を迎えたのでした・・。

(つづく)