国際刑事裁判所(ICC)と日本 [はてな版]

人間の安全保障の発展に貢献する日本と世界の道筋と行く末を見つめます。

ご案内:JNICC勝見のプロフィールの紹介(06年迄)

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          上:中国・貴陽でのICCアジア地域専門家会議にて報告を行う自分(06年3月)
          下:ハーグ第五回締約国会議にて、CICCのウィリアム・ペイス代表と(06年12月)

JNICCに入ったきっかけ

私がJNICC(ジェーニック)の活動に参加し始めたのは2002年の1月当たりからでした。当時の国内での活動としては、ウェブサイトやメーリングリストなどを通じて一般の方々への普及活動も進められていたのですが、活動の実態はほとんど伝わっていませんでした。当然、ICCというものに対する認知度も低く、「ICC=国際刑事裁判所」という認識でさえ、まったく一般には広がっていなかったと思います。

JNICCへの参加に先立ち、私はヤフーのある掲示板でまず「ICC国際刑事裁判所」であると、その名前を広めるための活動を行っていました。この活動を始めたきっかけは、911テロの直後、2001年10月に、国連のメアリー・ロビンソン人権高等弁務官が言ったこの言葉でした。
「できるだけ多くの人を殺すことを目的に、数千にも及ぶ人々がいるビルに衝突させることを意図して、燃料満タンの民間航空機を意図的に起用する行為は、明らかに一線を越えており、人道に対する罪に値する」
私は、いまは亡き同志と考えた「国際テロは国際法廷で裁こう」という言葉をキーワードに、ICCの名前を広める活動を進めていきました。すると次第に、ICCについての質問が相次ぐようになり、そういった質問に答えるために私自身も勉強を重ねるようになりました。

「ICC」という名前と存在の普及活動に一定の手ごたえを感じた私は、次なる段階に進みました。
自ら掲示板のスレッドを立ち上げたのです。

ICCの名前が知れ渡り、その機能や可能性に対する認識が高まっていくにつれ、掲示板での質問が段々と高度化してゆきました。貴方がたのような法学生からの質問が増え、実際に国際刑事法を学んでいる学生さんたちを前に、私の生半可な知識では太刀打ちできなくなってきました。知識だけは蓄積されていったのですが、学生さんたちの高度な質問に答えられるほど現状を把握できていなかったのです。そこで、私はICCに関して日本で唯一活動をしていたJNICCに接触を試みました。実際の活動を知らずに、学生さんたちの真に迫る質問に答えることができなかったからです。

はじめは、JNICCから外に出す情報を翻訳していただけでしたが、そのうち、海外からの情報の翻訳という作業を行うようになりました。つまり、海外とJNICCとの情報の橋渡しをするようになっていったのです。それから1年ちょっとが過ぎた翌年4月には、JNICCの国際連絡担当兼代表代理として、ニューヨークで最後の準備会合に参加する幸運に恵まれたというわけです。
法政大学で行った講演、『国際司法の発展におけるノンステート・アクターの役割』の講演原稿より

これまでの活動内容

ブログ設置後1年が過ぎ、活動が本格化するうちに私の役割はだいぶ変容しました。はじめは、翻訳会社に勤める傍ら、ボランティアでこの活動に関わっておりました。毎日、平日は9時・5時で業務をこなす典型的なサラリーマンでした。活動は、休み時間やアフター5、休日などの空いてる時間を使って行っていました。

2001年から2006年までの間の5年間、私は 国際刑事裁判所問題日本ネットワーク(JNICC)国際連絡担当という職務をこなすなかで、多くの国の人々や様々な立場の人々と接してきました。これまで存在しなかった「国際連絡担当」のポストを請け負う者として私が行う仕事は、主には情報や連絡事項の翻訳を相互に行って配信し、各国と日本との架け橋になることでした。

国際刑事裁判所(ICC)はオランダのハーグにあるので、ときには、年次の締約国会議が開かれるハーグや、特別会合および再開協議の場となる国連本部のあるニューヨーク、アジアのNGOが集まるバンコク、中国の各都市などで行われる会議や、その他のアジア諸国で行われる会議に代表代理として出席することもありました。そのときにプレゼンする資料やレポートなどの作成も私が行ってきました。普段はアジアのNGO連合のメーリングリストなどを通じて情報のやりとりをして、日本の活動の最新状況などを世界に発信していました。

日本国内の活動では、平日はほとんど外での活動はできないため、こうして一般向けの広報ブログやキッズ向けのブログを設置するなどして日本の方々にICCやその周辺の出来事を知ってもらおうと、活動のアピールを行ってきました。またフリー百科事典Wikipediaの関連項目を責任編集するなどして、ICCに関する知識の普及に努めてきました。これらの活動はすべて非公式なもので、JNICCの公認ではありますが公式なものではありませんでした。近い将来、これらの情報は建設中の新しいJNICCサイトにて公式なものとして展開される予定です。

以上が2001~2006年まで、私がこれまでいちボランティアとして行ってきた活動でした。
2007年3月以降、私の立場が変わることに伴いこれが変わります。

続きは、『07年以降』で。 Yahoo!ブログ版 「ミラーサイト版」(Yahoo!ブログが重い場合)