国際刑事裁判所(ICC)と日本 [はてな版]

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レバノン:紛争の両当事者の責任を公平に追求する姿勢の問題点

事実の錯誤を重ねる両者の見解

14日付けの中東紙アルジャジーラ英語版によると、レバノン武装勢力ヒズボラは、同勢力による戦争犯罪を告発する国際人権保護団体アムネスティー・インターナショナル(本部:ロンドン)によるレポートを否定しました。同様の告発は紛争相手国のイスラエルに対しても行われましたが、これも同国に否定されました。結果的に、両紛争当事者から否定されてしまった形になりましたが、ここで重要なのが、紛争の両当事者について、戦争犯罪を犯した可能性があればそれを追求しているということです。

記事によるとヒズボラ側の議員は、イスラエルの都市部、入植地およびインフラに対する攻撃を行ったことは否定しないが、すべてが「反撃」であったことを強調しています。アルジャジーラの取材に答えたHassan Fadallah議員は、こうも述べています。
「あれは自然な反応だった。国家が侵略された場合、国家は自らを守らなければならない」
"It was a natural reaction. When a state is invaded, it must defend itself."

ところがこの発言には問題があります。まず、ヒズボラが国家ではないこと。それから、ヒズボラに個別的自衛権がないことです。レバノン政府は別に存在しており、正規軍も存在しています。ヒズボラは、アフガニスタンでいえばタリバンのようなもので、実効支配している武装勢力に過ぎず、国際社会はヒズボラによる国家の成立を認めていません。したがって、国家が侵略されたときに国家以外の存在が反撃することは、国際法上、正当な自衛権の行使とは解釈されません。

正当な自衛権の行使ではない上に、ヒズボラのロケットは市街地を標的にしました。したがって、ヒズボラの行為は文民を直接狙う行為として、戦争犯罪と定義できるのです。しかし、ここで実はパラドックスが生じています。それは「戦争犯罪」が国家間での武力紛争でしか起こりえないということです。つまり、ヒズボラの行為は、国家ではないので個別的自衛権の行使でないだけでなく、国家ではないので戦争犯罪を構成することにもならないというパラドックスです。

すなわち、同じ紛争当事者とはいえ、戦争犯罪に問われるのはイスラエルのみで、ヒズボラについては現行法に基づけば、ヒズボラを問える罪としてはローマ規程第7条の人道に対する罪しか挙げられいのが実情ということです。アムネスティーの報告は、この事実を無視しています。いかに実効支配していようと、正規軍よりも力が勝ろうと、国家を代表する軍ではない限り、その勢力は戦争犯罪の対象にはなり得ないのです。

非対称的紛争を裁くジレンマ

国際法の盲点がここにあります。すなわちnon-state actorと呼ばれる非国家的存在に関する拘束力のなさです。国際法の主な法源の1つは国家間で結ばれる国際条約がありますが、この条約は国家が抑制しきれない特定の集団を拘束しません。すなわち超国家的な力を持つ武装勢力などはいかなる国際条約にも拘束されないのです。そこでアムネスティなどの人権保護団体は、ヒズボラを国家と同等の法人格を持つ存在として扱い、イスラエルと同様に戦争犯罪の罪を問おうとしています。が、しかし。厳密にはイスラエルという国家と、ヒズボラという非国家的(非対称的)存在に対して同等の犯罪を追及することはできない筈なのです。

つまり、今回の記事に書かれている内容には2点の問題があり、ヒズボラ側の主張も、アムネスティー側の主張も事実の錯誤に基づいています。ヒズボラ側を自らを「国家」であると主張しており、アムネスティ側もヒズボラを国家として扱っているのです。しかし事実は異なり、ヒズボラは超国家的な存在であり、国際条約に拘束されない。アムネスティはその超国家的存在を国家間の国際条約に拘束されると見なし、「戦争犯罪」を犯しているとして追求しているのです。

 紛争の両当事者を裁こうとする姿勢は、これまで必須とされながらもなかなか実現しなかったことでした。様々な政治的思惑が絡み、公平・公正な裁きが行われることなど、これまで期待されても実現し得なかったのです。しかし、公平さを追求するあまりに両者を「同等」として扱おうとすると、事実に歪みが生じてしまいます。今回のアルジャジーラの記事は、はからずしも公平な裁きを求めることの弊害を浮き彫りにしたといえます。
 しかしこれが現在の国際法体系の限界であり、イスラエルのように国家として管轄権を拒否するものも、国家でないヒズボラのような存在も、現行の国際法体系では、たとえ期待のかかる国際刑事裁判所でも裁くことができないのです。これはすなわち、現行の法体系の限界を示すケースであり、国際社会の急務は、こうした国家以外の存在に対する拘束を可能にする法体系を構築することにあります。しかし国家を一単位として国際関係を考察する現在の国際秩序の中では、おのずと無理が生じてきます。問題は、この無理をどのように、新たな人類の知恵で解決していくかにあるのです。