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【日報】9条世界会議参加報告(分科会編)シンポ1

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シンポジウム1:世界の紛争と非暴力

『9条世界会議』二日目最初のこのシンポでは、世界各地で今なおをも進行する紛争や暴力に対する、非暴力による紛争解決のアプローチについて、各界の専門家を招いて討論が行われました。

ボスニア)ヤスナ・バスティッチ女史

討論はまず、ボスニア出身のジャーナリストであるヤスナ・バスティッチ(Jasna Bastic)女史の問題提起に始まりました。それは、「人類はいったいいつになったら学習するのか」という問いかけでした。バスティッチ女史は旧ユーゴスラビアボスニア紛争で得た経験から、次の教訓を学んだと話しました。

1. 平和は容易に維持できるものではない。
2. 将来の紛争を予防できなければ平和は持続しない。
3. 平和に対する無関心(パシヴィズム)が紛争を永続させる。

討論はこの問題提起を受けて、各パネリストやコメンテーターが発言する形で進行しました。討論のトップバッターは、アフリカのケニアで「ナイロビ平和イニシアチブ・アフリカ」(Nairobi Peace Initiatvie-Africa)の事務局長を務めるフロレンス・ンパエイ(Florence Mpayei)女史でした。

ケニア)フロレンス・ンパエイ女史

ンパエイ女史は昨年12月の大統領選挙以降に生じたケニアでの混乱について、その混乱の中でいかに民衆の無関心や不満・怒りと闘い、ケニアの安定化に務めてきたかをその経験から語りました。ナイロビ平和イニシアチブの戦略は以下のような三層構造になっており、これが効果的に緊張状態の緩和と和解の促進に繋がったというのが女史の説明でした。つまり、市民社会(CSO:Civil Society Orgqanization)は紛争の解決や緊張の緩和という課題において、大きな役割を果たすことができるというのが女史の主張でした。

紛争の再発予防と和解促進の為のプログラム
1. 対メディア戦略─メディアを啓蒙し、偏向報道による紛争の助長を防止する。
2. 国内対話の促進─各当事者間の対話を促進するためのフォーラムを設ける。
3. 国際仲裁の要請─大陸内の影響ある人物を呼んで仲裁を呼びかける。

(日本)伊勢崎賢治

次に発言したのは、日本の東京外国語大学教授であり、紛争予防の専門家でもある伊勢崎賢治氏でした。伊勢崎氏は、紛争予防の観点から、アフガニスタンで自らが陣頭指揮をとった武装解除・動員解除・社会復帰(DDR)プログラムの功罪について話し、米国の戦略に乗った安易な選択がいかに現在の紛争を助長してしまったかを淡々と語りました。

伊勢崎氏によれば、日本は「哀しき共犯者」(Petty Accomplice)として米国の世界戦略に協力し、その結果として旧国軍の大規模な武装解除を実施したため「力の空白」が生じてしまい、現在に至るタリバンの台頭を許し事態をさらに混迷させたということでした。つまり、大規模な武装解除の成功があったのは事実だが、その結果として全体の構想が崩れてしまったということでした。(日本の功罪の詳細については本ブログ記事でも紹介

次に伊勢崎氏は、かつてアフリカのシエラレオネの国連ミッションで行ったDDR事業についても触れ、そこでも生じた安易な紛争解決の問題点について言及しました。それは、不当な恩赦などが伴う迅速な紛争解決よりも紛争の再発、将来の紛争の勃発を防止することが肝心であるということでした。ここで伊勢崎氏は「Responsibility to Prevent(予防する責任)」を説き、この責任を全うすることがいかに大変で覚悟を要されるかを指摘しました。つまり、あらゆる紛争解決の戦略には、紛争予防の視点が不可欠であるということでした。

この伊勢崎氏のプレゼンについて、自身も活動家であり日本国際ボランティアセンター(JVC)の代表でもある、シンポ1の進行役を務める谷山博史氏から次のような指摘があがりました。

(日本)谷山博史氏

谷山氏は、軍事的介入が必要になってしまうのは、紛争が起きている過程、あるいは起ころうとしている過程で、国際社会も含む当事者たち、あるいは地域の住民、などが「見過ごしていたからではないのかと問題を指摘。ボスニアのバスディッチ女史が言うように、紛争の勃発には、「周囲の無関心」(パシヴィズム)が深く関わっているという指摘を補足するコメントでした。また、えてしてこうした無関心は、軍事的介入を行うために政治的に利用されることがあり、紛争勃発後に力による解決が行われる土壌がそこで作られてしまうことがそもそもの問題なのではないかという主張でした。

質疑応答

質疑応答になると、このパシヴィズム(無関心)について質問が集中しました。曰く、①「紛争というものが人為的なものであるならば、周囲の無関心にはどう対応すればいいのか」②「ジェンダー(女性)の動員にはどのようなアプローチがあるのか」そして、9条の関連については③「予防する責任と9条との関連性」「9条は予防する責任を発揮するうえでどのくらい有効なのか」など、9条の実効性について疑問を投げかける問いが集中しました。

これらの問いに対し、各参加者が質問を割り当て答えました。答えの内容はだいたい次の通りでした。

アフリカ・ンパエイ女史、①②
紛争により自らが迷惑や損害を被るという現実感が、パシヴィズムをなくす近道となります。たとえば女性は、自分の子どもたちが紛争に駆り出されたりするのであれば、その紛争を防ごうと必死になる。事実、ケニアではそうした女性たちの力により和解が実現した例がいくつもありました。肝心なのは、個々の紛争が持つ特異性ではなく、共通点、普遍性を当事者や傍観者たちにわからせることです。

ボスニアバスティッチ女史、①
市民社会組織(CSO)は、紛争勃発前かれも常に活動し続けているのが大半です。そうしたCSOが蓄積した情報がインターネットなどにも溢れています。これらの情報を有効に活用すれば、国際レベルでも、地域レベルでも、また当事者レベルでも紛争の予防は可能です。またそのために、既存のメディアに頼らない想像力豊かな表現手段を持つ青少年たちの活躍が重要になるでしょう。

日本・伊勢崎賢治氏、①、③
無関心をなくすことはそんなに難しいことではありません。加害者(一般の日本人も含みます)に、自らが被ることの実感を持たせればいいのです。9条については、まず軍事を理解することが必要です。たとえばテロ特措法については、政府は実にトンチンカンなロジックで再派遣を決めましたがこのロジックのトンチンカンさに国民は気付いていません。政治家(野党)も気付いていません。軍事を理解していないからです。9条を語る上でも、軍事を理解しなければ平和は語れません。まずは自らが「加害者」であるという意識のもと軍事を正しく理解し軍事を正しく運用する術を学ぶことです。であれば、9条を正しく運用できるようになるでしょう。

最後に、コメンテーターとして参加していた法学者でもあるセネガルのエル・ハル・ムボッチ(El Hadj Mbodj)氏から、法学的見地から総括のコメントが述べられました。

ムボッチ氏は、日本の憲法9条が、アフリカなどで紛争に明け暮れる国にとって、平和が実現できることに対する希望を持たせるものだとして、9条を維持してほしいと訴えました。また、9条は決して空想の産物でもただの理想でもなく、現実に根ざした法なのであると、その実効性をも褒め称えました。それは、9条が憲法の前文に書かれた理念ではなく、国をつくる憲法の具体的な条項であるということ、そして、その条項に基づいて細かく国内法が規定されているということ、さらに実際に過去半世紀に渡って日本とその周辺国の平和を維持してきたという実績があるからということでした。

最後に、ムボッチ氏をはじめとする参加者全員が一言ずつコメントを残してシンポは閉会しました。

セネガル・ムボッチ氏
9条に対するいかなる改正にも抵抗してほしい。憲法9条は日本の最高の輸出品。
人類共通の遺産(common heritage of mankind)なのです。

ボスニアバスティッチ女史
物事を知り、物事について聞くのは私たち個人個人の務めです。
(9条を守るかどうかを)決めるのは貴方がたです。

アフリカ・ンパエイ女史
9条は紛争のない社会に生きることができることを実証する世界のモデルです。
是非9条を固持してください。

日本・伊勢崎氏
9条がなくなったらシャレになりません。世論調査はアテになりませんから、もっと戦略的に考えるべきです。たとえば護憲的改憲派(条文の文言の修正によって9条の理念や精神を強化すべという考え方)との和解を進め、味方に引き入れる必要があります。自衛隊違憲だの、あらゆる軍事を否定するなど、護憲の間で立場を割っている場合ではありません。

またもや、「9条の世界化」現象の証をまざまざと見せつけられた最初のセッションでした。
最後の谷山進行役によりまとめが、これからの具体的な方向性を示したといえます。

日本・谷山氏(まとめ)
平和を希求するだけでなく、現実を理解し、軍事を理解して現実的に予防を考えることが重要だということだと思います。そのために早期警戒や早期対応が可能な仕組みを作ることが重要であるとともに、軍事的介入には厳格な条件付けが必要であることがわかってきました。非暴力的なアプローチは依然として、紛争後の社会で暴力を抑制する働きを果たすものであり有効な手段といえます。憲法9条を平和実現のモデルとしたい各国の期待に日本は具体的に応えなければいけません。