国際刑事裁判所(ICC)と日本 [はてな版]

人間の安全保障の発展に貢献する日本と世界の道筋と行く末を見つめます。

個人声明:日本のローマ規程批准達成に万感の思いを込めて

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             国際刑事裁判所ローマ規程の批准承認の件についての採決結果
             

国際刑事裁判所規程の批准達成に万感の想いを込めて

2007年4月27日午前11時39分、国会の参議院本会議にて、国際刑事裁判所ローマ規程、国際刑事裁判所に対する協力等に関する法律案、及び付帯決議が全会一致にて可決されました。以下は、この報を受け、JNICC勝見が個人として発表する声明です。

あれは、1998年―コソボ紛争勃発の年だった。国際世論は、初めて人道的介入を名目に武力介入に踏み切ったNATOの行動に戸惑っていた。日本国内でも、空爆派と空爆反対派に真二つに分かれて激しい議論が交わされ、当時ネットでの活動をはじめるきっかけとなったYahoo!コソボ紛争掲示板は、同時に新たな発見の場ともなった。そこで出くわした投稿で、国際刑事裁判所の存在を知ったのだ。

人道的介入という名目はあっても、付随的被害を越える甚大な被害を及ぼしているNATO空爆は断固支持できなかった。一方の勢力だけに肩入れする米国主導のNATOが、我こそ正義だとばかりに、ほとんど無差別に近い爆撃を行っていたからだ。NATOはどうして、一方の勢力にだけ肩入れして、仲裁という形をとらずにただ空爆を行うのか、どうしても解せなかった。そして紛争が終了し、国連が臨時裁判所を設置したときに、なぜNATOは裁かれなかったのか―この疑問に答えてくれたのが、のちに国際刑事裁判所の存在を再び思い出させてくれた当時の国連人権高等弁務官、メアリー・ロビンソン氏だった。

そして、2001年9月11日─対米同時多発テロが勃発。この未曾有の出来事が、その後の人生をすべて変えた。そのときの出逢いが、今に繋がった。

2007年4月27日─日本が国際刑事裁判所規程を批准する場面に居合わせた。しかも国会の外で、ニュースでそのことを知ったのではなく、国会の中で、批准を推進した中心人物の事務所の一員として、誰よりも早くその情報を知ることができた。2001年にこの運動を本格化したとき、誰が想像できただろう。

万感の想いを込めて、この至上の喜びを分かち合いたい人たちがいる。

この道に導き、信念を持たせ、それを維持させてくれた同志の故・黒田靖尚さん、
この道を知らぬ間にともに歩み、同じ情熱で取り組んできた犬塚直史議員、
この道に進み始めた自分に驚きつつも、支持し支えてくれた両親と兄弟、
日本の加盟を信じて、支援し続けてくれた世界各地の同志たち、
この活動の成功を信じ、陰ながら支えてくれた賛同者の皆さん、
そして、一緒にこの活動を続けてきた、国内の同志たち、

遂にやりましたよ!(^o^y←PEACE FOR ACTION!

1999年03月 Yahoo!JAPANコソボ紛争掲示板      GivingTree
2001年05月 Yahoo!JAPAN対米同時多発テロ掲示板   etranger3_01
2005年10月 Yahoo!JAPANブログ           jnicc_org_05
2007年03月 参議院議員犬塚直史事務所       勝見貴弘

2007年4月27日  
勝見貴弘