国際刑事裁判所発足までの経緯
構想の誕生と低迷 2002年7月に条約が発効し、翌3月には開所した国際刑事裁判所(ICC)の設立構想は、半世紀以上も前、国際連合の設立当初から存在していました。第2次世界大戦後のニュルンべルク国際軍事裁判と極東国際軍事裁判の経験を踏まえ、国際社会が常設の国際法廷を設置して将来の大量虐殺や侵略の発生を抑止するのを目的に構想が着手されていたのです。しかし、東西冷戦によって数十年にわたりこの構想は凍結されることになります。
90年代に入り冷戦が終結すると、冷戦後に頻発した民族紛争に対処するために国際社会は新たな手段を必要としました。そして、旧ユーゴスラビアやルワンダの紛争における集団レイプや大量虐殺、人道に対する罪といった重大な国際犯罪を裁く臨時の国際犯罪法廷(旧ユーゴスラビアの戦争犯罪を裁くICTY、ルワンダ虐殺を扱うICTRなど)が設置されたことにより、常設の国際刑事裁判所設置の議論が復活し、急速に進展しました。非政府組織(NGO)もこの準備過程へ積極的に参加し、国連や各国政府に対して様々な働きかけを行いました。このときに誕生したのが、現在世界の2,000以上のNGOによって構成されるCICC『国際刑事裁判所を求めるNGO連合』(解説)です。
1998年7月、イタリアのローマで国際刑事裁判所設立のための国連全権外交会議が開かれ、1995年に発足したばかりのCICCもオブザーバー参加する中、120カ国の賛同(日本は当時未署名)を受けて国際刑事裁判所設立条約、通称「ローマ規程」(解説)が採択されました。このローマ規程が発効するには60ヵ国の批准が必要となります。しかし、ICCは国家主権の一部を国際機関に委譲するという側面をもつ可能性があり、各国とも国内法との調整の課題があったため、発効には20年は要するという見方もありました。しかし、冷戦後の国連や国際機関を中心とした新しい国際秩序(グローバルガバナンス)を求める世界的な機運と、CICCなど市民社会からの強い働きかけもあって批准は順調に進みました。
2002年3月までに、拡大前のEUのほぼ全加盟国を含めた56ヵ国が批准してるという状況になり、さらに同年4月11日にボスニア、ルーマニア、カンボジアなど一挙に10ヵ国が批准し条約発効の要件を満たしたため、ローマ会議からわずか4年後の2002年7月1日、ローマ規程は正式に発効し、翌年3月にはオランダのハーグに裁判所が設置されました。
こうして、国連創設から半世紀以上の時を経て、史上初の常設国際刑事裁判所の設立構想が遂に実を結び、2003年3月、ICCは正式に発足したのです。
2002年3月までに、拡大前のEUのほぼ全加盟国を含めた56ヵ国が批准してるという状況になり、さらに同年4月11日にボスニア、ルーマニア、カンボジアなど一挙に10ヵ国が批准し条約発効の要件を満たしたため、ローマ会議からわずか4年後の2002年7月1日、ローマ規程は正式に発効し、翌年3月にはオランダのハーグに裁判所が設置されました。
こうして、国連創設から半世紀以上の時を経て、史上初の常設国際刑事裁判所の設立構想が遂に実を結び、2003年3月、ICCは正式に発足したのです。